師匠・高柳 昌行さんとの思い出 3

「もしもし高柳さんのお宅でしょうか?宮崎といいますが高柳さんでしょうか?」

 

「はい。」

 

と、静かながらも 威圧感のある 低い声で 先方は言いました。

 

「土田さんのご紹介で ギターを習いたいと思って お電話しました。」

すると 予想外の答えが返って来ました。

 

「君の人生にとって ギターを弾くという事は どういう意味があるのですか?」

 

どういう意味があるかって急に言われたって そんなことは 考えてもいなかったし

何せ昨日まで 僕は、確固たる目的も持たないまま ちゃらちゃら 遊んでいた学生だったのです。

しかし 私もさるものひっかく者で、とっさに頭をフル回転させながら 言いました。

両親に 便箋20枚にわたって 書き連ねた内容を思い起こしながら・・・・

 

「自分のこれからの人生で 本当に 心底 打ち込めるものを 必死で探していました。

自分が好きなものは ご飯を食べるのも忘れるくらい のめりこめる物だと思います。

それが 僕にとっては ギターを弾くという事だと 気が付きました・・・・・・・・・」

 

と、まあ こういうような事を 答えたと思います。

 

すると 高柳さんは 

「君は すくなくとも 五年は習い続ける気持ちがあるのか?」

 

とりあえずハイと言わないと この場はまずいだろうなと思って

 

「ハイ」と、言ってしまいました。

 

すると高柳さんは

「よしわかった。明日 もう一度 電話しなさい。」

 

と言って 電話を切りました。

 

この時点では 高柳 昌行さんと言う人が どんな人か 僕は全く知りませんでした。

18歳で夕張から 東京に出てきて 

特別 することも無く遊んでいた学生で、 ジャズにも そんなに興味があったわけでもありません。

何せ 高校生のときは ベンチャーズ一本やりでしたから・・・・・・

 

次の日 電話をしました。

すると高柳さんが言いました。

 

「メモ用紙を用意しなさい。今から 家までの道順を言うから。

四谷駅の改札を出て右に行って真っ直ぐ行って 左に行って・・・・・・。

 

来週 月曜日 10時にきなさい。」

 

と言って 電話が 切れました。

 

非常に事務的でぶっきらぼうな感じがしたのですが、それに従うしか すべはありません。

後になって わかったのですが、

一度言って 理解できないレベルの人間は 相手にしたくないという 先生の想いがあったようです。

 

あっという間に その月曜日がやってきました。

緊張した気持ちで四谷駅の改札口を出ました・・・・・・・・・

 

 

続く・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    カルロス・シモネッタ (水曜日, 29 2月 2012 14:00)

    20歳の自分と照らし合わせて、連載を楽しみにしています。

  • #2

    カポネ (水曜日, 29 2月 2012 14:25)

    カルロスさん

    何せお互い40年も前のことですから、随分遠くへ来たもんだ・・・
    という感じがしますね。
    これからも本当によろしくお願いします。
    仲良くしてください。