師匠・高柳 昌行さんとの思い出 5

「ピックの持ち方」

 

とまあ、とにかく 来月から 毎週月曜日に レッスンを受けることになりました。

20歳の僕は 無限に広がっているような 自分の人生に向かって 

小さな一歩を踏み出すような 想いでした。

 

田舎の両親に 自分は プロのギタリストになりたい・・・という想いを伝え 許しを乞いました。

そして、自分で決めた道を歩むのだから 

毎月送ってもらっていた 生活費等の仕送りも 自分から 断りました。

 

「明日から 生活費は自分で稼がなきゃいけないんだ。そう、働かなくちゃいけない。」

 

僕の選んだのは 喫茶店の店員の仕事でした。

 

高円寺駅から 裏道を抜け 早稲田通りに面した所にあった 

少し大きめの『華』という店でした。

 

朝10時から夜6時まで カウンターの中で コーヒーや紅茶、サンドゥイッチ、

スパゲッティー(ミートソースにナポリタン)や、チョコレートパフェ、プリンアラモード などを

作って お客さんに 出していました。

今から考えると 恐ろしい事だと 思いますが・・・・・・

 

お店には ホール係として まあ いわゆる、ウエイトレスというんですか? 

そういう人が一人いて 二人体制で 仕事をしていました。

 

よくある映画のストーリーのように その二人は 恋に落ちる・・・・・・

 

 

 

 

 

ということは     微塵も無く、  何せ 其の時の僕は まだ世の中の事は 右も左もわからない

純真無垢な (自分で言うのもどうかと思いますが) 青年でしたから。

しかも、夕張の田舎から出てきた・・・・・・ 

 

 

給料は 月3万円ちょっとだったように 記憶していますが。

とにかく 生活する体制は 整えたわけです。

 

 

そして第一回目の月曜日が来ました。

喜び勇んで 先生の家のドアを開けました。

 

 

 

 

 

続く・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    benben (土曜日, 03 3月 2012 14:01)

    またまた、良いところでつづく!ですね。ピックの持ち方早く知りたいですね?

  • #2

    カルロス・シモネッタ (土曜日, 03 3月 2012 14:21)

    喫茶店でメイキング・スタッフだというくだりが
    私には、グッときました。
    2歳年下の私もいろいろなアルバイトをして
    早く社会に飛び出したい気持ちでいっぱいだったことを
    ちょっとすっぱく思いだしています。

  • #3

    ☆もも爺 (土曜日, 03 3月 2012 15:19)

    カウンターの中の、カポネさんが作った
    オシャレで、美味しそうな軽食が想像できますね!

    恋に落ちなくて良かった(^_-) 今のカポネさんが居ないかも知れませんわ

  • #4

    カポネ (土曜日, 03 3月 2012 21:31)

    benbenさん

    またまたいい所で終わっちゃいましたね。
    連載を書いているとどんどん色々な事を思い出してきて長くなってしまうので あまり長いと 読まれる方も大変だろうと思って この辺で・・と思うと いつも だいたい あの辺になるのです。
    すみません・・・・

    シモネッタさん

    私の場合は 社会に出るのも 親元はなれて 一人だったので
    心もとなかったです。
    でも夢があったから さみしくは無かったですね。
    コメント有り難うございます。

    もも爺さん

    フルーツパフェなんか、あれですよ。
    りんごのしゅるしゅるしゅるっていう あの伸びるやつ、作るの
    結構 難しいんですよ。
    それから レモンティーに添えるレモン、あれも 一個のレモンから
    何枚薄切りにできるか 知っていますか?
    あれも結構大変なんですよ。24枚以上取れるようになるには
    何ヶ月も時間が かかります。
    コメント有り難うございます。