師匠・高柳 昌行さんとの思い出 27

やっとの思いで 約束の 1ヶ月間が 過ぎました。

ミッキー宮崎さんと 大島 信ちゃんたちに お詫びの挨拶をして お別れをしました。

 

さあ これから 何をして 生活費を 稼ごうか・・・・・・

 

先月までやっていた 高円寺の 純喫茶 「華」には もう 戻れないし・・・・

 

 

だって皆 あんなに喜んでくれて しかも 盛大に 送別会まで やってくれて

「宮崎君 来月から プロのギタリストだね! 夢が叶って 良かったね!」

と言って 送り出してくれたのに 1ヶ月で クビに なったなんて 恥ずかしくて 

死んでも言えない・・・・

 

 

 

とまあ こんな事を 荻窪の部屋で 考えていると 

窓の外に 『ちり紙交換』 の会社が 見えるでは ありませんか!!

地獄で仏 とは こういうことを 言うんだと とっさに 思いました。

『あ、そうだ!ちり紙交換を やろう!』 と軽く考えて 決めました。

 

若いときの僕は あまり 物事を 深く考える事が 出来なかったので 

逆に それが 良かったのかもしれません。

 

 

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チリ紙交換を やるくだりは この ホームページの コラム欄に

「え~~ 毎度おなじみ チリ紙交換でございます」   という タイトルで 詳しく 書いてありますので

時間に余裕のある方は そちらも 見てください。 よろしくお願いします。

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こうして プロの ギタリストとしての スタートは 無残にも 砕け散りました。 

 

また 明日からは 高柳 昌行さんのレッスンが すべての 生活に なります。

 

 

 

高柳さんは 日ごろから 

「ジャズ というものは 個性的な音楽だから オリジナリティーを大切にしろ。

そして コピーもしろ」 と 言っていました。

 

僕は 当時 好きだった ケニー バレル や ウエス モンゴメリー、 ジム ホール 

を中心に コピーしていました。

 

オープンリール のテープレコーダーデッキ に LPレコードから 録音して 

それを 2分の1 のスピードに 変換して 何度も 何度も 繰り返し繰り返し 聴いて

コピーします。

 

まだ 耳が 鍛えられていない僕は コピーすることも 容易では ありませんでした。

やっとの思いで コピーした フレーズを 譜面に書き写して 完成です。

 

 

 

ある日 兄弟弟子の 向井くんと 「どれだけコピーしているか 見せ合おうよ」 ということになり 

僕は 自信満々で 自分が 今までにコピーした 譜面の束を 持って行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    カルロス・シモネッタ (土曜日, 31 3月 2012 22:56)

    当時でオープンリールのデッキといえば、かなり高価だったと思われますね。わたくしはオーディオマニアでしたがとても手が出ませんでした。

  • #2

    カポネ (日曜日, 01 4月 2012 00:12)

    シモネッタさん

    僕は質屋さんで探して 確か2万円くらいでした。
    でも当時の2万円というのは 学生ひとり 1ヶ月暮らせるくらいのお金でしたね。そういう意味では絶対必要な物だったから 無理して 買ったのかもしれません。
    今となってみたら いい思い出です。
    コメント ありがとうございます。


  • #3

    回遊魚 (日曜日, 01 4月 2012 16:31)

    昔々、私が子どもだったころ、
    実家にもオープンリールありました!
    何を聞いていたのかは不明です。

  • #4

    カポネ (日曜日, 01 4月 2012 20:42)

    回遊魚さん

    この話は、40年前くらいの事です。其の頃は、オープンリールしかなかったのですね。

    ソニーのウオークマンが、発売された時は、かなり、邀撃的でしたね・・・・
    懐かしいです。