ピンクボンゴ、、、 102

どなたが 名付けたのか 知りませんが

六粋堂、、、、、、

とても良い名前だと 思いました

その名の通り  粋 、、、、、、

イキな人だねー

イキな計らい

イキな心遣い

など の表現がある様に イキ と言う言葉 とても イキな雰囲気を 醸し出します♪

イキ な人が 6人 集まっています

と言う 意味だと 思えるのが 

六粋堂!

その6人の方々が 勢揃いされて 柴崎の

サクランボの最前列に陣取って居る、、、

いつもの様に ピンクボンゴのライブ

コンサートが 終わりました

始まる時は ワタシの メガネ いや 耳に かなわないと お金は出さないよ! と 物騒な事を 仰っていた方も 

イヤー ワタシの 音響設備は物凄いよ! それで ケニーバレル、 バーニーケッセル を何時も聴いているから ギターの音には うるさいよ!

とうるさく言っていた方も 

皆さん ニコニコ顔 でした♪

イイネー イイネ! 

最高!

直ぐ このバンドのCD 作ろう!

と 東東京方面の 方々が 口々に 話すのを 音頭取りの 種子島さんが 嬉しそうに 静かに うなずいて居たのが

印象的でした♪

2001年の夏から ライブ活動を始めたピンクボンゴ、、、

2006年 に 念願の CDが 作れる事に なりました!

それからは トントン拍子に 事が進み

2006年 3月14. 15日 フリーダム スタジオ(西新宿、、、) で 録音が 始まりました、、、、、、

レコーディング作業、、、、、、

コレは 大路さんや ポンタさん ゲタ夫さん それに 徹ちゃん 皆さん 日本でも 一流中の一流 の方々 ばかりです♪

全てを 大路さんにお任せして ボクは

いつもの様に ギターを弾くだけです

ボク的には ほとんど 全てが 初体験でして 色々 勉強になりました!

CDを作ると言うことの一部始終の過程

を経験させて頂きました、

2006年の夏と言えば 57歳 です

一般のお仕事関係の方々なら もう直ぐ定年退職ですね

ボクは 20歳から10年間 高柳昌行さんを 師匠と仰ぎ 一生懸命に付いて行きました

師匠は何時も 太い大きな木になる為には 何年も何年も 地中に 根を下ろすんだ! 焦るな 基礎練習を 怠るな!

と言われ続けて居ましたから 自分は 大器晩成型を目指そうと心に決めていたので 57歳と言う時期は まだまだ ヒヨコ の様なものだ と思って 焦る気持ちは少しも有りません

CDを作る作業は 一つ 一つ 目新しい事ばかりで、

今 思い起こせば とても 楽しい日々

でした、、、、、、

印象的だったのは ポンタさんのプレイでした!

何時も ライブで 一緒に演って居たから 良く分かるのですが 、、、、、、

レコーディングは 取り直しが 自由で有ると言う事を 本当に 良くご存知で

ほとんどの曲  録り終えた後 一人で

その後 録音し直すことを されて居ました、、、、、、

なるほど こう言う事が 可能なんだなぁ と感心 しました。

さすが スタジオミュージシャンとして 名を 上げた 方 だな、、、、、、

スタジオミュージシャンとして 大路さんも かなりの経験がお有りのようで

本当に 作業は慣れたものでした

コルトレーンカルチャー のような ジャズの要素が 満載の曲を録音する時は 

前もって ポンタさんに コレは 一発で 行きます! と 指示を 出すあたり 流石ですね!

このような 録音状態 風景 を垣間お見せしました、、、、、、

更に フリーダム スタジオでの レコーディング作業は 続きます、、、

続く、、、