ええ~、毎度おなじみチリ紙交換です…

町のギター教室の先生だと思っていた、高柳昌行が、ナント! 日本を代表するギタリストだったなんて…。

僕の人生って、大事な節目、節目には、偶然を装って、最高の出会いが仕掛けられているように思います。 
先生との出会い、ギターとの出会い……。
不思議な力に押されていると今では思っています。高柳先生が大変な人だと知ってからは、急に真面目に話をきくようになりました。 
先生は、常々 'ジャズギターリストは内向的過ぎる、もっと度胸をつけさせる為に、四谷のまちを上半身裸でギターを背中に背負って自転車で走らせるか' っていっていました。そして付け加えて '宮崎はいいけどな' ともいっていましたね。
僕は、内向的ではないと思ってくれていたみたいでした。
さすが、師匠ですね、そんな師匠の家の目の前に、トラックを止めて、大きな声で "ええ~ 毎度おなじみちり紙交換でございますと一発あいさつをカマシマシタ!! 
すると……。

しーーーーーん。 
何事も無かったように町は静けさを取り戻しました。 
よく考えてみると、チリ紙交換屋なんてのは毎日 日常茶飯事のように来ているだろうし、まさか先生は僕がチリ紙交換のアルバイトをしているなんて思いもよらないだろう。
そうか! ここは一つ、先生の名前を呼んでみよう!
ええ~~ 毎度おなじみチリ紙交換でございます。 ええ~~ 高柳様、高柳様、古新聞はございませんか?」 
と、やってみました。 
すると、先生は窓を勢いよく開けて首を出して道路を眺めていました。
2, 3秒のちに、僕の乗っている小型トラックを発見して、じーーっと様子を探っている風でした。 

僕はここでもう一声と思って、先生! 古新聞ありませんか? トイレットペーパーおまけしますよ。 宮崎ですッ!!」 
先生は、「おお 宮崎か! お前ナニやってんだ!」
僕はすかさず、チリ紙交換ですよ!」 
すると先生「おおそうか! チリ紙交換か! 新聞無いぞ!」と、 道路上のトラックとマンションの2階の窓で、マイクを通した大声と師匠の肉声で、やり取りをしました。
結局 師匠は「おぅ、宮崎上がって来い!」と一声発して窓を閉めました ……。

                                   (続く)

 

 

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