北海道阿寒郡阿寒町大字仁仁志別

学校が家で家が学校でした…。 
それがどういうことを意味するか皆さんは 実感できますか? 

開拓部落と言えども、学校と言う名がついていますから 学校としての機能は最低限全て揃っています。理科室、音楽室、図画工作室、図書室、体育館 は それなりにすべて有りました。
それらのものが何時でも好きな時に、一人で使えるのです。 それは結構楽しいことでしたが…。 

たとえば体育館では、卓球台を壁に押し当てて、1人で卓球したり、バスケットボールを持って、1人でゴールに入れて また向かい側のゴールに走っていって ゴールに入れて またもとのゴールに向かって走って行って…。
色んなことやりましたが、結局ゲームと言うのは1人でやっても楽しくは無いのです。 

14人の同級生たちは、何せ開拓部落の子供たちなので 家に帰って 家のお手伝いが山ほどあるのです。誰ひとりとして遊んでる子なんかいません。

仁仁志別では遊んでいる子供は 校長先生の息子の柘植信義ぐらいでした。それほど開拓部落と言うのは、自然との闘いが強烈なのです。 


さて、複式学級ですが、
僕は5年生でしたから、4年 5年 6年生がひとクラスの教室でした。1時限が 45分でしたから最初に4年生が15分間授業を受けます。その間5年生6年生は自習です。次の15分間が5年生の授業。最後の15分が6年生の授業です。
授業を受けていない時間は全て自習です。そういうシステムでした。
僕は4年生の授業を聞いていましたが、 夕張で学んだ4年生の授業と較べると 話にならないくらいお粗末な物でした。
さほど、勉強は好きなほうではありませんでしたが、ここにいたら、夕張の同級生たちとは完全に取り残されてしまうという不安に駆られました……。

                                     (続く)

 

 

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