師匠・高柳 昌行さんとの思い出

 

 

「ピックの持ち方」

 

とまあ、とにかく 来月から 毎週月曜日に レッスンを受けることになりました。

20歳の僕は 無限に広がっているような 自分の人生に向かって 

小さな一歩を踏み出すような 想いでした。

 

田舎の両親に 自分は プロのギタリストになりたい・・・という想いを伝え 許しを乞いました。

そして、自分で決めた道を歩むのだから 

毎月送ってもらっていた 生活費等の仕送りも 自分から 断りました。

 

「明日から 生活費は自分で稼がなきゃいけないんだ。そう、働かなくちゃいけない。」

 

僕の選んだのは 喫茶店の店員の仕事でした。

 

高円寺駅から 裏道を抜け 早稲田通りに面した所にあった 

少し大きめの『華』という店でした。

 

朝10時から夜6時まで カウンターの中で コーヒーや紅茶、サンドゥイッチ、

スパゲッティー(ミートソースにナポリタン)や、チョコレートパフェ、プリンアラモード などを

作って お客さんに 出していました。

今から考えると 恐ろしい事だと 思いますが・・・・・・

 

お店には ホール係として まあ いわゆる、ウエイトレスというんですか? 

そういう人が一人いて 二人体制で 仕事をしていました。

 

よくある映画のストーリーのように その二人は 恋に落ちる・・・・・・

 

 

 

 

 

ということは     微塵も無く、  何せ 其の時の僕は まだ世の中の事は 右も左もわからない

純真無垢な (自分で言うのもどうかと思いますが) 青年でしたから。

しかも、夕張の田舎から出てきた・・・・・・ 

 

 

給料は 月3万円ちょっとだったように 記憶していますが。

とにかく 生活する体制は 整えたわけです。

 

 

そして第一回目の月曜日が来ました。

喜び勇んで 先生の家のドアを開けました。

 

 

続く・・・・・・・

 

 

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