師匠・高柳 昌行さんとの思い出

 

 

2日めの ファーストステージも 無事に終わり 

メンバーの皆さんは いつものように お茶を飲みに 行きました。

 

バンマスの ミッキー宮崎さんが 「宮崎君は 行かないの?」 と 聞くので

「はい ここで練習しています」 と言って 控え室に 残りました。

 

高柳さんのレッスンの 練習を していましたが メインのジャズバンドの 演奏が 気になり

ステージのそばまで行って 休憩時間の終わりまで 聴いていました。

 

メンバーの皆さんは、 ステージの始まる5分くらい前には 戻ってきているようでした。

バンマスに促されるようにして 僕たちの 歌謡コーラスバンドの 2ステージ目が 始まりました。

 

 

 

・・・・・・・とまあ だいたい このような繰り返しが スコッチクラブでの 仕事の様子でした。

 

 

 

 

 

順調に 毎日が過ぎて 練習時間も増えて 希望が現実と なりそうな 

本当に 楽しい毎日でした。

 

 

 

 

スコッチクラブでの仕事が 2週間も 過ぎようかという ある日・・・・・・・

 

 

ファーストステージが終わり 

バンマスが 「宮崎君 ご馳走するから お茶飲みに行こうよ」 と言いました。

 

僕は あまり 断るのも悪いので 「はい ありがとうございます」 と言って

皆さんが いつも行く 喫茶店に ついて行きました。

 

ところが、その日は、 どういうわけか、 2ステージ目が終わって また、ミッキー宮崎さんが

「宮崎君 お茶飲みに行こう!」 と今度は 少し強く 言いました。

僕は 『1日に2回も、コーヒーをご馳走してくれるんだ、嬉しいな・・・』 と思いながらついていきました。

 

 

 

 

ミッキーさんは 僕の 向かいに座り 静かに切り出しました。

「宮崎君 今月で 上がってくれる?」

 

僕は 何が起こっているのか 全く 理解する事ができませんでした。

 

 

 

話を聞いてみると 要するに クビ ということでした。

 

 

 

辞めるのも やめさせるのも 丸1ヶ月の猶予を持って 伝えると言うのが

ハコのバンドの 常識のようでしたが、

 

僕の場合は 下手なうえに 仕事のやり方も プロのバンドマン としての ルールも 常識も

知らない 並外れた 桁違いの アホだったようでした。

 

何事もなく 順調に 仕事が進んでいると思っていたのは 僕だけで、 

メンバーの皆さんは あきれて ものも言えなかったようでした。

 

 

 

ミッキー宮崎さんのバンドの中での ギターのポジションは 非常に 重要なもので

曲の、 イントロ 間奏 エンディング を 担当して 全体をリードしていかなければ 

いけなかったのです。

 

最初の日 僕が 初見ができなくて 弾けなかった時 

ミッキー宮崎さんが 「あ、僕がひくからいいよ」 と言ってくれたので 

僕はそれで いいものと思っていたのですが 

『あとで 練習して 弾けるようにしておいて下さい』  というのが 

プロの暗黙の ルールなのでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

   

僕は 必死になって ミッキーさんに 懇願しました。

「一生懸命 がんばりますから クビにしないで下さい・・・・・・来月から 生活に 困るんです・・・」

 

プロのバンドのルールとして、 この涙の懇願も

とうてい 受け入れられるものでは ありませんでした。

 

 

何故なら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

続く・・・・・・・・・・・・・・

 

 

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