私の人生をかけた健康法
~冷え取り(靴下重ね履き)
生活療法について 

そしてさらに月日は流れ、僕は荻窪に住み 
その時28歳になっていました。
もうすでに音楽を仕事にして活動していました。

いつものように仕事の帰り 荻窪の駅の階段を とんとんとんと降りて
いると左足を踏み外しそうになり、冷や汗をかいたのを覚えています。

そうそれが、17歳のときの
交通事故の後遺症を自覚した始まりでした。

それからさらに2年くらいの間に少しずつ 両手に違和感を覚える
ようになり 今まで弾けていたフレーズが 引っかかるようになり 
明らかに これはおかしいと感じるようになりました。

友達の紹介で 東大の整形外科に行き見てもらったのですが、冷たく 
「骨には異常なし」といわれ なすすべもなく呆然としたのでした。
30歳くらいから、針、マッサージ、カイロプラクティス 指圧と、よい
先生を捜し求めて 治療を続けていました。
その頃は 東大島というところに住んでいました。
評判の接骨院があると言われ 半信半疑で行ってみました。
最初に背中の等高線の写真を撮りました。それは 背骨をはさんで
左右がアンバランスの状態で写っていました。

先生の治療を受けたあと また同じ写真を撮ると、等高線がきれいに
整列していました。それを見て 僕はその先生をすっかり信用した
のでした。 

その接骨院は いつも お年寄りの患者さんが あふれかえっている
状態で 明らかに人手不足という感じでしたが、僕はその先生を信用
したので、そのことについては、 たくさん患者さんが来るということは 
評判どおりに 腕がいいのだと思いました。

その接骨院で僕は 首の牽引をすることになりました。
最初の一回目は受付の女性が やり方を教えてくれたのですが、
二回目からは人手不足のため自分ひとりでやったように記憶して
います。
周りを見ると腰の牽引をする人も足首を牽引する人も みんな一人で
やっていました。それが当たり前の雰囲気でした。

最初は5キロくらいの力で牽引しました。
首が ずうっと上のほうに上っていって ある地点でポキッと言います。
そのポキッというのが、なんとも言えず気持ちがいいのです。
接骨院というのはカイロプラクティスやマッサージと違って医療保険が
利くのです。
そのため1回の治療費が安く 500円未満でした。だから腰が痛いと
か足が痛いとか言う程度の人たちが マッサージ代わりに詰め掛け
ていたのです。

僕は早く治したい思いで毎日通いました。

最初5キログラムで牽引してたのが、そのうち、例のポキッという感覚
が無くなり、10㎏に上げると、またポキッといいます。 そういうことを繰
り返しているうちに 10キロが15キロになり、15キロが20キロになり、
20キロが25キロになったように記憶しています。
僕には牽引の知識がなく、そのことがとても危険なことだということ
が、わかりませんでした。
その頃には通い始めてから、1年近く月日が流れていました。

ある日の朝 起きて、今日も治療に行こうと思っていたら、訳もなく、
絶対に行きたくないという気持ちになりました。

不思議な感覚でした。
自分の意思が、何か別なものに捻じ曲げられたような感覚でした。

昨日まであんなに信じていた接骨院に 急に 何の理由もなしに 
行きたくない。


不思議でした。
今にして思えば、あのまま治療を続けていたら、僕は確実に廃人に
なっていたでしょう。

何か目に見えない大きな力が働いたんだ
と思います。 

 

 

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