楽器との出会い
「ナニヲイッテンデスカァ! コノギターガ ソンナネダンニナルワケ ナイジャナイデスカァ」と怒ったように言った風に僕には思えました。
やはりアメリカという国はたとえ楽器屋の店員さんと言えども、 楽器を売ることに対してプライドを持って仕事をしているんだなあと感心したものです。
結局すったもんだがあって 渋々領収書の金額を2,000ドルと書いてくれました。
それでも50万ですから 税金5万円を払わなければいけないので、最終的にはその領収書は捨てました……。
そして僕はそのギターを抱えて NYのライブハウスの ジャムセッション巡りをしたのでした。
しかし……。
ジャムセッションめぐりは楽しい物ではなかった。
慣れぬ外国での生活で全然練習も出来ず、丁度その時期から 体のゆがみが出始め、何より買ったそのギターが 当時の僕にとって非常にハードだった。
日本で使っていたギター(ギブソン175)に比べると 10倍くらい弾きずらかった。
そのような悪条件が重なり、ジャムセッションに出向いても 自分の中では満足に弾けなかった。
福ちゃんたち(奥様のしーちゃん)は日本で僕と一緒にバンドをやっていたし、僕の日本でのプレイを知っているので、いろいろな店に連れて行ってくれて多くのミュージシャンを紹介してくれましたが、いつも結果は満足のいくものではありませんでした。
「宮ちゃん、どうしたの?」
「うん、僕もよく分からないんだよ……」
NYでの生活は僕には楽しくなかった。
そうだ! ギターも買ったし、日本に帰ろう……。 (続く)
備考・ しーちゃんは後に あのデュークエリントン楽団の Pianist に
抜擢されました。
あの時は嬉しかったなあ……。