北海道阿寒郡阿寒町大字仁仁志別、、、  8

 

 

 柘植広と阿部トミの同居生活は続き

何年間の月日が流れ、、、、、、

当時の日本人の心の底に 流れる儒教的

な考え、 家 の存続の問題が湧き上がりました

柘植広の函館の弟 三郎夫婦には子供がありませんでした

山形の妹 郁子も同じでした

それで おばあちゃんの家系を見渡すと

なんと 勝子の嫁いだ宮崎家だけに 3人の 男の子がいました

以上の理由で 僕に 白羽の矢が立ったと推察されます

僕の母は おばあちゃんに頼まれて やむを得ず決断したのだろうと思います

当時はそう言う考え方が当たり前な時代だったのでしょうね

1958年 昭和33年の頃です、、、、、、

さて 信義少年は 夕張から想像も出来ないくらい遠く離れた地 仁仁志別に

突然 連れてこられました

今日から 全く新しい生活が始まろうとしています

この 開拓部落 仁仁志別で どんな生活が待っているのでしょう、、、、、、

それでは 心に刻み込まれた出来事の一つ一つを思い起こして 次回から

皆さんに読んで頂く事に致しましょう

続く、、、

 

 

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