師匠・高柳 昌行さんとの思い出

 

 

涙の懇願も 受け入れてはもらえませんでした。

何故なら 来月から来るギターの人は もう既に 決まっていたのでした。

 

それが プロの世界の ルールのようでした。

 

僕が ミッキー宮崎さんのバンドに入れてもらって 2,3日 経ったころから

代わりのギターの人を 探していたみたいでしたが、

月の始めということもあって 相応しい人が なかなか見つからなかったようでした。

やっと見つかったのが 昨日、 ということだったのでしょう。

 

僕は 来月から来る人が 決まっている と言われた時に 全てを悟り 諦めました。

「はい、わかりました。ありがとうございました」 と言って

スコッチクラブに 戻りました。

 

考えてみたら、 イントロ 間奏 エンディングを 弾いた事が無く

ただ リズムギターを じゃかじゃかじゃかじゃか と弾いているだけでした。

そして スコッチクラブには 二つのバンドがあるので バンドが 交代する時は

チェンジワルツ といって 先方が 演奏した3拍子の曲と同じ曲を 引き継いで 演奏するのも

本来 僕の 役目だったのですが もちろん そんな曲も 知るわけも無く

みんな ミッキーさんが やってくれていたのでした。

 

高柳 昌行さんは 日ごろから こう言っていました。

 

「木の種を植えると なかなか 芽を出さないが 木は 地中に 一生懸命 根を伸ばしているんだ。

大きな木に なればなるほど 地中深くに 先ず 根を 生やすんだ。

そして やっと 地上に 芽を 出し始めるものなのだ。

おまえたちも それと同じで 今は 大きな木に育つ為に 根を 張っている所なんだ。」・・・・・・・

 

 

だから レッスンでは 基礎、また基礎 の繰り返しで 

ジャズのフレーズや 曲や コードの類など

一切 教わった事が ありませんでした。

 

大島 信ちゃんは 高柳昌行さんに 習っているという理由だけで 

僕を バンドに誘ってくれたのでしたが 一つも お役に立つことは 出来ませんでした。

 

3回目のステージをやらなければいけないスコッチクラブに帰る 道すがら

涙が溢れて 止まりませんでした。

 

 

 

知らなかったとはいえ プロへの道は 遠く 厳しいものでした。

 

 

続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

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