師匠・高柳 昌行さんとの思い出

 

 

習い始めてから 1年くらい 経ったころでしょうか。

生活費を稼ぐ為に 働いていた 高円寺の 喫茶店 「華」 で 若干の変化がありました。

 

月曜日を除く 毎日、 雨が降ろうが 風が吹こうが 雪が降ろうが 槍が降ろうが 

鉄砲玉が飛んで来ようが 朝9時半、 自分で鍵を開けて 店に はいります。

 

先ず 大きなヤカンに お湯を 沸かします。

そして コーヒー豆を500グラム、ネルのこし袋に入れて お湯を回しながら 少しずつ入れて

コーヒーをたてます。

当時は ドリップ式で 豆 10グラムが 一杯分 というのが 主流でした。

ですから 50人分なわけですが、利鞘を稼ぐために 500グラムで 54,5杯分 作っていました。

 

コーヒーを点てているときの香りが 「華」の店いっぱいに 広がって とてもいい感じです。

 

そして次に モーニングサービスに出す トーストを  20人分くらい焼いて

それにあわせて ゆで卵 を 茹でます。

 

それらの 準備を済ませると 10時くらいになります。

さあ 開店です。

 

いつのころからか 毎日 10時10分くらいに 決まって来るお客さんが いました。

 

お店の中は 4人がけの ボックス席が 10個くらい 整然と置かれてあり

カウンターの前には 5、6人が座れる 椅子がありました。

 

普通、お客さんは ボックス席の方に座るのですが その人は 

どういうわけか カウンターに座ります。

つまり 僕の 目の前に 座るわけです。

いつも一人で来るから きっと 話し相手が 欲しかったんでしょうね。

 

毎日 色々 話しているうちに 

その人の 名前は 大島信ちゃんで、年のころは 27、8歳。

プロのバンドの ドラマーだということが わかりました。

 

当時 バンドマンは 朝起きると 先ず 近くの 喫茶店で コーヒーを飲み 目を覚ます、 という人が

多かったのかもしれません。

 

何せ 今から 40年以上も前ですから 現在みたいに 

手軽に 家庭で コーヒーを点てるという習慣が あまり一般的では ありませんでした。

 

  

信ちゃんが 通い始めてから 2、3ヶ月 経ったある日

 

 

「宮崎くん、 うちのバンドのギターが 今月で やめるんだけど 来月から うちのバンドに来ない?」

  

 

「ええっ!!ほんとー?」

  

 

続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

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