北海道阿寒郡阿寒町大字仁仁志別

なぜ安子の妹が執拗に僕に夕張に帰りたいと言わせたのか……。 


安子は、僕が養子になる6, 7年前に、柘植広の赴任先の農家から養女に来たものと思われます(一度も説明を受けたことが無いので…)。
養女は自分ひとりで、ゆくゆくは自分が柘植家の跡を継ぐつもりでいたのでしょう。
そこへ長男として、阿部トミとも血縁のある男の子が 養子に来たことに対する憤りがあったものと思います。

そういう諸々の思いが彼女の妹にも伝わっていたのでしょう。


この背景には当時の一般的な考え方・家の跡取り・という問題が大きく横たわっているのです。

安子は僕の記憶では1日中よく働いていました。
厳寒の中 朝早く起きて、火をおこし、水を汲み、食事を作り 掃除洗濯とじっとしている時が無かったように思います。
   
 「今までこんなに働いてきたのに なんで信義が来るのよ…。
 夕張に帰ればいいのに…
」 
   
そう思っていたのではないでしょうか……。
仲良く二人で話したと言う記憶が無いのです。 


柘植広にいたっては、4年間で、僕と一度も会話をしたことがありません。 
無口な人は存在しますが、あれほどの人は今まで見たことがありません。

朝起きて、正座をして 「おはようございます」と挨拶をさせられます。
柘植広は 「………」 
夜寝る時は 正座をして「おやすみなさい」と挨拶をさせられます。 
柘植広は 「………」 

このような生活の中で、『生みの親より育ての親』と言われて懐こうと思っても10歳の少年にはとても無理なことでした……。


                                   (続く)

 

 

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