北海道阿寒郡阿寒町大字仁仁志別

柘植広と阿部トミの同居生活は続き、何年間かの月日が流れ……。

当時の日本人の心の底に流れる儒教的な考え、『家』の存続の問題が湧き上がりました。
柘植広の函館の弟、三郎夫婦には子供がありませんでした。
山形の妹 郁子も同じでした。 
それでおばあちゃんの家系を見渡すと、なんと勝子の嫁いだ 宮崎家だけに、3人の男の子がいました。

以上の理由で、僕に白羽の矢が立ったと推察されます。

僕の母は おばあちゃんに頼まれて、やむを得ず決断したのだろうと思います。

当時は、そういう考え方が当たり前な時代だったのでしょうね。 





さて、信義少年は、夕張から想像もできないくらい離れた地、 仁仁志別に 突然連れてこられました。
今日から全く新しい生活が始まろうとしています。
この仁仁志別で、どんな生活が待っているのでしょう……。

それでは 心に刻み込まれた出来事の一つ一つを思い起こして 次回から、皆さんに読んでいただくことにいたしましょう。

                                     (続く)

 

 

BACK  NEXT